ダーリンはアフリカ人 ~国際結婚&子育てのリアル~

国際結婚や子育てのリアルをお伝えします!

国際結婚(結婚前)~避けてとおれない宗教の話~

外国人(アフリカ人)との国際結婚を選んだ私。結婚前にも結婚後にも、山あり谷あり色々あるのが常ですが、私たちの場合、結婚前に真剣に話し合ってよかったことが3つありました。今回はそのうちの2つ目、悩みの尽きない「宗教」についてお話ししたいと思います。

 

まず、私の夫はキリスト教プロテスタントです。彼の家族も全員がキリスト教(クリスチャン)。私はというと、日本人にありがちな、「なんとなーく神様的な、人間を超越してる存在っていると思うけど、八百万の神というか、神様の名前なんてわかりましぇん」というタイプ。この日本人独特の感覚を外国人に説明することの難しさったらないですね。だから、彼の家族に説明するときは、「私は神様を知っているけれど、神様に名前をつけたりはしない」という話し方をしています。だって、神様は信じてても、名前がジーザスでも、アッラーでも、ブッダでも、天照大神でもなさそうなんだもん。

 

一概には言えませんが、アフリカ人は宗教に熱心なところがあります。日々の生活に喜びや苦しみを覚えるごとに、神への祈りを捧げる。日本に比べてシンプルな生活だということもあって、素直に「祈る」ことのできる人間性はすごく魅力的だと感じたりもします(一方で、日本人的な感覚で眺めてみると、何でそんなに何回も悪いことしてるのに、毎度毎度「赦される」のかなぁと不思議に思うことも…(笑))

 

そんなわけで、私たちの宗教論争?のタイミング、付き合ってすぐにやってきました。4月のある日、彼から「イースター礼拝があるから一緒に来てほしい」と言われ、(しぶしぶ(笑))ついていきました。教会に行ったのも初めて、一神教の考え方を目の当たりにしたのも初めて、そして宗教への勧誘を受けたのも人生で初めてのことで、私の心はたちまち拒否反応で覆い尽くされてしまいました。でも、彼が言ってくれたのは「別に無理にクリスチャンにならなくていいから」ということ。彼にとって宗教がどれだけ大切なものかというとのは、なんとなく私にも分かっていたので、それ以来「私はクリスチャンになりたくないけど教会にはついていく」という日曜日を続けました。聖書の言葉でわからないこと、納得できないことは、帰りに彼にぶつけ、これまた喧嘩になることもありましたが、こんなことを繰り返しながら、彼の大事にしてるものをなんとなく理解するように努めていきました。

 

付き合ってるときは「なんとなく理解する」くらいのレベルでよかったのですが、結婚が迫ってくると現実的に考えないといけないことがでてきました。

①結婚式のスタイル

②子供の宗教

③生き方そのもの

 

①については、彼の教会の牧師はクリスチャンとノンクリスチャンの結婚式はやらない、というのを明確に打ち出していたので、彼がお世話になった牧師に結婚式をしてもらうには、私がクリスチャンになる必要がありました。彼のために、何度もクリスチャンに無理やりでもなろうと試みましたが、私にはどうしてもできなかった。今までの人生に何一つ後悔もなく、周囲の人との関係も良好な私にとって、何かを自らの手で変えてしまうことはあまりに怖くてできませんでした。そもそも、彼のためにクリスチャンになるという発想も、自分と神様という二人だけの関係において、不純な動機であることは間違いないし、自分に嘘をついて苦しんでまで、その牧師さんに挙式していただくことが本当の「恵み」なのか、と考えたときに私の中でふっきれました。彼に「私は今のところクリスチャンになるつもりはないから、人前式で、宗教色なしで挙式しない?」と提案し、受け入れてもらいました。

 

②の子供の宗教については、物心つかないうちから入信させるようなことはせず、大きくなってからその子が選ぶということですんなりまとまりました。もちろん日曜日に家族で教会に行くのは、彼が望めばオッケーという前提で。

 

③の生き方そのものというのは、いくつかクリスチャンの方が書かれた本を読んだり、話を聞いてみて、「同じ宗教だと夫婦生活もやりやすい」とつくづく思ったことにあります。信じているものが同じであれば、喧嘩しても「これは神の言葉に反するね」と言って、第三者を持ち出すことで、夫婦の二人が直接ぶつかり合うことを避けることができる。とても賢くて、合理的で、幸せなやり方だと思います。よく牧師の先生に「あなたが心を決めれば明日からクリスチャンになれるよ。その方が旦那との生活でも楽だよ。」と言われますが、私にとって彼とぶつかることは、一時的な苦にはなっても、一回一回学ぶことがあるので、そこまで避けたいものではないんです。

 

宗教に限りませんが、国際結婚で最も大切なことは、相手との違いを理解して、相手のありのままを受け止めるということ。違って当たり前だけど、同じになる努力は必ずしも求められていないというのを時に忘れてしまい、同化への強迫観念に襲われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。もともと似てる部分があればラッキーですが、基本的には違って当たり前。無理に同じになる必要は全くないと思います(イスラム教のように宗教で定められている場合は別ですが…)。違う部分があるからこそ、パートナーとして二人でいることによって、より広い範囲をカバーできるという考え方もあると思いますし、同じ宗教を志向するとこで同じ方向に二人で向かっていきたいという考え方もあると思います。私は前者を選びましたが、どちらを選ぶかは自分次第なのだと思います。

 

★このブログでは外国人(アフリカ人)との国際結婚の経験を持つ日本人女性の体験を公開しています。周囲に外国人との恋愛や国際結婚で悩まれている方がいらっしゃれば、ぜひシェアしてください★

 

★国際結婚といっても、ケースは様々。ここに書いていることは「ダーリンはアフリカ人」の私のケースであり、アフリカの中でも国によっては当てはまらないこともありますので、あくまでも個人のケースとしてご理解ください★